対馬のこと
ヤフー記事:「【政治部デスクの斜め書き】対馬と済州島の地政学的重要性とは」
>■地政学とは?
皆さん、地政学(ゲオポリティック)という言葉をご存じでしょうか? 岩波書店の広辞苑は地政学を「政治現象と地理的条件との関係を研究する学問」としています。ウィキペディアでは「地理的な位置関係が政治、国際関係に与える影響を研究する学問」と記されています。
世界中の国家や民族は、自らが置かれた地理的な宿命からは逃れることができず、島国なのか、大陸国家なのか、それとも半島に位置する国家なのかというような地理的な環境が、そこに棲む民族や国家の盛衰に大きな影響を与えており、このことを学問的に研究しようというのが地政学です。
産経新聞本紙(東京本社発行)では、10月21日付朝刊の「対馬が危ない!!」と題する企画記事を皮切りに、長崎県対馬の不動産が韓国資本に続々と買い占められている実態を克明に描写し、安全保障、主権国家としての領土保全にかかわる深刻な事態に直面していることに警鐘を鳴らしています。
ここで、この対馬が抱えている問題を地政学的に考えてみたいと思います。もちろん、私見、独断、そして偏見を随分、交えながらの話ですが…。
■ロシアは対馬を占拠した
対馬と聞いて、ピンと頭に浮かんだのが、帝政時代のロシアが対馬を占拠した事件でした。幕末の1861年(文久元年)にロシアの軍艦が対馬の芋崎を占拠したのです。ロシア側は船体修理を名目に資材や食糧を求め、さらに付近の土地の租借権や警備権をも要求してきたのです。
対馬藩と藩から窮状を訴えられた幕府は退去を求めてロシア側と交渉する一方、英国に折衝を依頼。ロシア側は約半年間に渡って居座り芋崎付近を占拠しましたが、英国が軍艦2隻を派遣するに及んでようやく退去したのです。当時、世界各地に植民地を持っていた英国は東アジアでもアヘン戦争後、中国(当時は清朝)で利権獲得に躍起となるなど勢力拡大を図っており、英国に底意があれば、ロシアに代わって対馬を占拠するような事態になっていたかもしれません。
ロシアが帝政時代から不凍港を求めて南下政策を取り続けてきたことは良く知られていますが、アジアでもその行動様式は例外ではありません。いや、アジアほど、ロシアの南下政策に悩まされ、その被害を受けてきた所はないと言ってもいいでしょう。ロシアは清朝の弱体化に付け込む形で、1860年に日本海に面した沿海州を獲得します。そして、ウラジオストク(東方を支配せよの意味)を建設し、アジア・太平洋進出の拠点とします。
しかし、シベリアから太平洋に出ようとすると、日本列島がちょうど盾のようになってふさぐ格好となっています。ロシアが船で自由に太平洋側へ抜けるには宗谷、津軽、対馬の3つの海峡のいずれかを思い通りにできるようにしなければなりません。ロシアが対馬を占拠したのは、こうした意図があったからに違いありません。
冷戦時代には、原子力潜水艦を次々に進水させ、航空巡洋艦などを建造するなど増強著しかったソ連海軍を封じ込めるために宗谷、津軽、対馬の3海峡封鎖がひそかに検討されました。
ちなみに、日本では「日本海海戦」として定着している東郷平八郎が率いる帝国海軍の連合艦隊とロジェストヴェンスキーが指揮を執るロシアのバルチック艦隊の海戦は、海外では「Battle of Tsushima」として知られています。直訳すると「対馬の戦い(海戦)」となるわけで、対馬の戦略的な重要性が否が応でも浮かび上がってきます。
■元と高麗も対馬を侵略した
この原稿は、ロシアの非道さをるる述べるためのものではありません。島国である日本列島と、3方向を海に囲まれて海洋的な雰囲気に包まれながら、大陸と陸続きのために大陸的な性格をも強く併せ持つ朝鮮半島に挟まれた対馬の戦略的な重要性を考えるためのものです。
いまから約730年前の鎌倉時代に当時、ユーラシア大陸に君臨していたモンゴル帝国(元)が2度にわたって日本を侵略した元寇のときも、対馬は真っ先に攻撃を受けて、元軍とそれに服属していた高麗(朝鮮)の連合軍は対馬で暴虐の限りを尽くしました。
もちろん、日本が朝鮮半島や中国大陸に進出しようとするときにも対馬は、その拠点となってきました。豊臣秀吉による朝鮮出兵、いわゆる文禄・慶長の役の際には佐賀の名護屋城、壱岐の勝本城ととも対馬には清水山城が築かれるなど前線基地となります。
さらにもっと時代をさかのぼると、日本書紀には神功皇后が対馬から軍勢を率いて朝鮮に出兵し、新羅を攻めて、服属させたと記されています。
こうしてみると、ユーラシア大陸の東岸から太平洋に通じるロードともいうべき海峡のほぼ中央に位置する対馬には、海洋勢力と大陸勢力の相克の歴史が刻み付けてられているといっても過言ではないでしょう。
■済州島の重要性
では、こうしたことは対馬だけに限られたことなのでしょうか。世界地図を広げてみると、対馬の西方に韓国の済州島が浮かんでいます。今では、リゾート地として知られているこの島も日本海から東シナ海に出る際には、その鼻先をかすめなければいけないような位置にあります。また、中国北部の海の玄関口ともいえる渤海湾から東シナ海に出る際にも同様です。
この地理的環境が、済州島の運命を決定づけています。再び、話は元寇の時代に戻ります。元は朝鮮半島に侵攻し、高麗を服属させますが、それに従わない三別抄という勢力が済州島に立てこもります。結局、三別抄も遠征軍によって滅ぼされます。元はこの済州島を高麗から切り離して、直轄領とし、日本に遠征する際の前線基地として利用しました。
そして、時代は現代にまで下がります。第二次世界大戦終了から間もない1948年4月3日、済州島では武装勢力の放棄を契機に騒乱状態となった、いわゆる「4・3事件」が起きます。事件には南朝鮮労働党がかかわっていたという説もあります。
第二次世界大戦における日本の敗北を受けて、朝鮮半島は北緯38度線を挟んで米国に支援された韓国と、スターリンが率いるソ連に後押しされた北朝鮮とに分断され、北朝鮮が1950年6月に38度線を突破し、朝鮮戦争が始まります。もし、済州島が親北朝鮮勢力に制圧されていたとしたら、朝鮮戦争の様相も随分違ったものになっていたのではないでしょうか。
ちなみに韓国国内などの報道によると、韓国政府はこの済州島に2014年までに約20艦艇を収容できる海軍基地を建設する予定だということで、イージス艦などを主力とする韓国初の「機動戦団」が配置される方針だといいます。やはり、韓国政府も済州島の戦略的な重要性に着目しているのでしょう。
■海峡を制するものが大洋を制す
対馬と済州島を例に挙げながら、海峡をコントロールすることがいかに重要なのかを述べてきたつもりです。
英国はイベリア半島南端にあるジブラルタルを抑えており、地中海の西の出入り口であるジブラルタル海峡に大きな影響力を行使することが可能です。そして、この海峡をコントロールすることで地中海の制海権も左右できます。
英国はかつてアジアで、シンガポールを植民地としていました。そのシンガポールは南シナ海や太平洋とインド洋を結ぶ大動脈であるマラッカ海峡を扼する位置にあり、第二次世界大戦では、日本軍は開戦からまもなくシンガポールを攻略します。
黒海に通じるダーダネルス海峡、ペルシャ湾の出入り口にあたるホルムズ海峡、スエズ運河から紅海を航行する際に通り抜けることになるマンダブ海峡…。海峡の重要性を教えてくれる例は数え上げればきりがありません。
地政学という言葉は、スウェーデンの地理学者、ルドルフ・チェレーン(1864〜1922年)が20世紀の初頭に使い始めたといわれていますが、地政学の事実上の開祖といわれているのが英国の地理学者、ハルフォード・マッキンダー(1861〜1947年)です。
そのマッキンダーは、次のような仮説を唱えています。
「人類の歴史はシーパワーとランドパワーの闘争の歴史である」
「これからはシーパワーの力は衰退し、ランドパワーが優勢となるだろう」
「東欧を制する者がハートランドを制する。ハートランドを制する者が世界島(ユーラシア大陸とアフリカ大陸)を制する。世界島を制する者が世界を制す」
ちなみにシーパワーは日本、英国、米国に代表される海洋勢力国家群、ランドパワーはロシア、ドイツ、中国などの大陸勢力国家群のことを指していると理解するのがいいようです。
また、マッキンダーは、ハートランドについて「ユーラシア大陸内部で北極海へそそぐ河川の流域、ならびにカスピ海、アラル海へそそぐ河川の流域で、ここは海洋国の軍艦が遡行(そこう)できない地域で、ランドパワーの聖域である」としています。
地政学の泰斗であるマッキンダーのまねをするものは恐れ多いのですが、「海峡を制するものが、その周海を制し、周海を制する者が大洋を制す」ということが言えるのかもしれません。
対馬関連の記事保管の意味で記載
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081123-00000575-san-soci
元記事
seesaa:「対馬のこと」
>■地政学とは?
皆さん、地政学(ゲオポリティック)という言葉をご存じでしょうか? 岩波書店の広辞苑は地政学を「政治現象と地理的条件との関係を研究する学問」としています。ウィキペディアでは「地理的な位置関係が政治、国際関係に与える影響を研究する学問」と記されています。
世界中の国家や民族は、自らが置かれた地理的な宿命からは逃れることができず、島国なのか、大陸国家なのか、それとも半島に位置する国家なのかというような地理的な環境が、そこに棲む民族や国家の盛衰に大きな影響を与えており、このことを学問的に研究しようというのが地政学です。
産経新聞本紙(東京本社発行)では、10月21日付朝刊の「対馬が危ない!!」と題する企画記事を皮切りに、長崎県対馬の不動産が韓国資本に続々と買い占められている実態を克明に描写し、安全保障、主権国家としての領土保全にかかわる深刻な事態に直面していることに警鐘を鳴らしています。
ここで、この対馬が抱えている問題を地政学的に考えてみたいと思います。もちろん、私見、独断、そして偏見を随分、交えながらの話ですが…。
■ロシアは対馬を占拠した
対馬と聞いて、ピンと頭に浮かんだのが、帝政時代のロシアが対馬を占拠した事件でした。幕末の1861年(文久元年)にロシアの軍艦が対馬の芋崎を占拠したのです。ロシア側は船体修理を名目に資材や食糧を求め、さらに付近の土地の租借権や警備権をも要求してきたのです。
対馬藩と藩から窮状を訴えられた幕府は退去を求めてロシア側と交渉する一方、英国に折衝を依頼。ロシア側は約半年間に渡って居座り芋崎付近を占拠しましたが、英国が軍艦2隻を派遣するに及んでようやく退去したのです。当時、世界各地に植民地を持っていた英国は東アジアでもアヘン戦争後、中国(当時は清朝)で利権獲得に躍起となるなど勢力拡大を図っており、英国に底意があれば、ロシアに代わって対馬を占拠するような事態になっていたかもしれません。
ロシアが帝政時代から不凍港を求めて南下政策を取り続けてきたことは良く知られていますが、アジアでもその行動様式は例外ではありません。いや、アジアほど、ロシアの南下政策に悩まされ、その被害を受けてきた所はないと言ってもいいでしょう。ロシアは清朝の弱体化に付け込む形で、1860年に日本海に面した沿海州を獲得します。そして、ウラジオストク(東方を支配せよの意味)を建設し、アジア・太平洋進出の拠点とします。
しかし、シベリアから太平洋に出ようとすると、日本列島がちょうど盾のようになってふさぐ格好となっています。ロシアが船で自由に太平洋側へ抜けるには宗谷、津軽、対馬の3つの海峡のいずれかを思い通りにできるようにしなければなりません。ロシアが対馬を占拠したのは、こうした意図があったからに違いありません。
冷戦時代には、原子力潜水艦を次々に進水させ、航空巡洋艦などを建造するなど増強著しかったソ連海軍を封じ込めるために宗谷、津軽、対馬の3海峡封鎖がひそかに検討されました。
ちなみに、日本では「日本海海戦」として定着している東郷平八郎が率いる帝国海軍の連合艦隊とロジェストヴェンスキーが指揮を執るロシアのバルチック艦隊の海戦は、海外では「Battle of Tsushima」として知られています。直訳すると「対馬の戦い(海戦)」となるわけで、対馬の戦略的な重要性が否が応でも浮かび上がってきます。
■元と高麗も対馬を侵略した
この原稿は、ロシアの非道さをるる述べるためのものではありません。島国である日本列島と、3方向を海に囲まれて海洋的な雰囲気に包まれながら、大陸と陸続きのために大陸的な性格をも強く併せ持つ朝鮮半島に挟まれた対馬の戦略的な重要性を考えるためのものです。
いまから約730年前の鎌倉時代に当時、ユーラシア大陸に君臨していたモンゴル帝国(元)が2度にわたって日本を侵略した元寇のときも、対馬は真っ先に攻撃を受けて、元軍とそれに服属していた高麗(朝鮮)の連合軍は対馬で暴虐の限りを尽くしました。
もちろん、日本が朝鮮半島や中国大陸に進出しようとするときにも対馬は、その拠点となってきました。豊臣秀吉による朝鮮出兵、いわゆる文禄・慶長の役の際には佐賀の名護屋城、壱岐の勝本城ととも対馬には清水山城が築かれるなど前線基地となります。
さらにもっと時代をさかのぼると、日本書紀には神功皇后が対馬から軍勢を率いて朝鮮に出兵し、新羅を攻めて、服属させたと記されています。
こうしてみると、ユーラシア大陸の東岸から太平洋に通じるロードともいうべき海峡のほぼ中央に位置する対馬には、海洋勢力と大陸勢力の相克の歴史が刻み付けてられているといっても過言ではないでしょう。
■済州島の重要性
では、こうしたことは対馬だけに限られたことなのでしょうか。世界地図を広げてみると、対馬の西方に韓国の済州島が浮かんでいます。今では、リゾート地として知られているこの島も日本海から東シナ海に出る際には、その鼻先をかすめなければいけないような位置にあります。また、中国北部の海の玄関口ともいえる渤海湾から東シナ海に出る際にも同様です。
この地理的環境が、済州島の運命を決定づけています。再び、話は元寇の時代に戻ります。元は朝鮮半島に侵攻し、高麗を服属させますが、それに従わない三別抄という勢力が済州島に立てこもります。結局、三別抄も遠征軍によって滅ぼされます。元はこの済州島を高麗から切り離して、直轄領とし、日本に遠征する際の前線基地として利用しました。
そして、時代は現代にまで下がります。第二次世界大戦終了から間もない1948年4月3日、済州島では武装勢力の放棄を契機に騒乱状態となった、いわゆる「4・3事件」が起きます。事件には南朝鮮労働党がかかわっていたという説もあります。
第二次世界大戦における日本の敗北を受けて、朝鮮半島は北緯38度線を挟んで米国に支援された韓国と、スターリンが率いるソ連に後押しされた北朝鮮とに分断され、北朝鮮が1950年6月に38度線を突破し、朝鮮戦争が始まります。もし、済州島が親北朝鮮勢力に制圧されていたとしたら、朝鮮戦争の様相も随分違ったものになっていたのではないでしょうか。
ちなみに韓国国内などの報道によると、韓国政府はこの済州島に2014年までに約20艦艇を収容できる海軍基地を建設する予定だということで、イージス艦などを主力とする韓国初の「機動戦団」が配置される方針だといいます。やはり、韓国政府も済州島の戦略的な重要性に着目しているのでしょう。
■海峡を制するものが大洋を制す
対馬と済州島を例に挙げながら、海峡をコントロールすることがいかに重要なのかを述べてきたつもりです。
英国はイベリア半島南端にあるジブラルタルを抑えており、地中海の西の出入り口であるジブラルタル海峡に大きな影響力を行使することが可能です。そして、この海峡をコントロールすることで地中海の制海権も左右できます。
英国はかつてアジアで、シンガポールを植民地としていました。そのシンガポールは南シナ海や太平洋とインド洋を結ぶ大動脈であるマラッカ海峡を扼する位置にあり、第二次世界大戦では、日本軍は開戦からまもなくシンガポールを攻略します。
黒海に通じるダーダネルス海峡、ペルシャ湾の出入り口にあたるホルムズ海峡、スエズ運河から紅海を航行する際に通り抜けることになるマンダブ海峡…。海峡の重要性を教えてくれる例は数え上げればきりがありません。
地政学という言葉は、スウェーデンの地理学者、ルドルフ・チェレーン(1864〜1922年)が20世紀の初頭に使い始めたといわれていますが、地政学の事実上の開祖といわれているのが英国の地理学者、ハルフォード・マッキンダー(1861〜1947年)です。
そのマッキンダーは、次のような仮説を唱えています。
「人類の歴史はシーパワーとランドパワーの闘争の歴史である」
「これからはシーパワーの力は衰退し、ランドパワーが優勢となるだろう」
「東欧を制する者がハートランドを制する。ハートランドを制する者が世界島(ユーラシア大陸とアフリカ大陸)を制する。世界島を制する者が世界を制す」
ちなみにシーパワーは日本、英国、米国に代表される海洋勢力国家群、ランドパワーはロシア、ドイツ、中国などの大陸勢力国家群のことを指していると理解するのがいいようです。
また、マッキンダーは、ハートランドについて「ユーラシア大陸内部で北極海へそそぐ河川の流域、ならびにカスピ海、アラル海へそそぐ河川の流域で、ここは海洋国の軍艦が遡行(そこう)できない地域で、ランドパワーの聖域である」としています。
地政学の泰斗であるマッキンダーのまねをするものは恐れ多いのですが、「海峡を制するものが、その周海を制し、周海を制する者が大洋を制す」ということが言えるのかもしれません。
対馬関連の記事保管の意味で記載
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081123-00000575-san-soci
元記事
seesaa:「対馬のこと」




